バイエルンアルプス ドイツ
虹の写真⬆︎
コロマン教会(左)からノイシュヴァンシュタイン城に架かる虹。ホテルで夕食を済ませ、部屋に戻り窓の外を見ると、虹の一部が驚くほどハッキリと見えた。カメラを抱えて虹全体が見渡せる牧草地に車で猛ダッシュ。撮影。
⬅︎二枚目、雪の森と城
スキー仲間の友人と登った時の写真。ノイシュヴァンの撮影を終え、車でインスブルック方面に向けてフュッセンの町をでる。まだユーロになる前で国境の至る所に税関があった。ドイツとオーストリアとスイスの接する狭い範囲に、税関がいくつもある場所があった。 つづきは下のボタン⬇︎
ドイツの国境を出て3つ目の税関に差し掛かった頃、雪が降り始めてきた。雪の降り具合から、とっさに、雪の城が撮れるかも知れないと考えた。再びフュッセンに戻ることにした。税関を目前にしてUターンする。少し走るとまたドイツ入国用の税関が現れる。
日本のパスポートでいつも素通りのはずの欧州税関、この時は男性が車の側に寄ってきて外に出るようにと促す。先ほど、私たちのUターンを目にした税関員が連絡してきたのだろう。二人の税関員に徹底的にチェックされた。エンジンルーム、エンジンのNo、トランクルーム、車の下。私物から土産、二時間ほどたっぷり調べられた。
税関の前のUターン、思えば極めて怪しい行動だ。車泥棒か覚せい剤、麻薬の密売人。と思われたにちがいない。おまけにその時はBMWの5シリーズといつもより少し贅沢なレンタカーを借りていた。
城への帰り道、峠でスリップして登れない。平地に引き返しガレージを探しチェーンを買う。降りしきる雪の中二人でタイヤにチェーンを掛けた。
昨日、ノイシュヴァンシュタイン城の撮影は終了したとして日本から持ってきた登山靴などの重いものは全て送り返してしまった。フュッセンのスポーツ店でまた揃えることになる。大きな店ではないが登山用具のアイテムも多く、日本で買うより安く揃えられた。
税関トラブルなど、あれやこれやと忙しかった次の日、登山の帰り道に35mmで撮った写真がこの雪のモミ林とお城の写真。下山途中急な斜面でなんども尻もちをついた。
この頃の旅行までは、どんな田舎でも、遅い時間帯でもホテル探しに困ることはあまりなかった。予約無しや、当日の予約でも宿泊可能だった。
晴れた日は山へ。天気の悪い日は、城内見学、近隣のロケハン。ある5月の撮影では、一週間以上、毎日、全く同じ形の重い雲が全く同じ方向に流れていた。
イラ感は頂点。だが、晴れた日の山上からのお城は感慨無量。ルードビッヒ二世は、城の設計案をきっとこの場所から練っていたはずだ。
三十代の初め頃、このお城の撮影ポイントのルートを知った。最初は撮影ポイント探しはロープウェイで上がって、山道を下ればいいポイントがあるはずと簡単に考えていた。 つづきは下のボタン⬇︎
まずはテーゲルベルクバーン(スキー場)から山頂行きのロープウェイに乗る。チケットは往復のみ販売。山道には雪があるので歩いての下山は危険と、片道はどうしても売ってくれない。
しかたなく往復を買う。機材は4x5と35mmカメラ。
ロープウェイの山頂駅にはハンググライダー専用の、分厚い板でできた滑走路が目が眩むような崖に向かって下っている。次々に男達が駆け下っては宙に浮いて行く。
下りの山道には膝まで雪があり人の歩いた形跡は無い。学生時代は登山に夢中だったので恐怖感はない。それでも1時間半くらいの予定が、3時間以上かかってしまう。やはり初めての山道が雪というのは少し怖いものだ。
下山の途中、お城が見えるポイントは僅かしかない。しかも見えたところであまりにも遠く、お城の俯瞰図になってしまう。撮影ポイントがないのだ。かなりガッカリ。
歩いて下りるだけなら、遙か彼方にフォルゲン湖を見ながらの気持ちのいいルートだ。4x5で撮る程でもないので、35mmの手持ち撮影のみ。デジタル時代には考えられない、大型カメラ一式の大荷物を背負っているのに、小型カメラをちょと使って終わり。そんなことがフィルム時代にはよくあった。
フュッセン、シュヴァンガウの観光案内所のインフォ。撮影ポイントに行く道を尋ねると、みな口々に、ハングライダーやパラグライダーから撮影していると言う。しかし、ポスターなどの写真のクオリティーはどう見ても4x5クラスのカメラで撮ったものだ。三脚は必須だ。
ロープウエーでの撮影ポイント探しが失敗した後の3日間、お城の周りから、スキー場の辺りからとポイントを探し続けたが山が険しくアクセス道が見つからない。再三お城に一番近いインフォメーションを訪ねた。擦った揉んだの末、山岳ガイドを紹介してくれた。
天気を選んでガイドと登山開始。彼はザイル、ハーケンを取り出しいきなりロッククライミング。私はこれも若い頃に経験済み。微塵も怖いことはない。ポイントに辿り着き目出たく撮影。そしてまた、ザイルを使って懸垂下降。(ロープを伝ってまっすぐ降りる)
まだ他に素晴らしいポイントがあるからと、別のルートを登り始める。ルートといっても道らしきものは全く無い。かなりの急斜面である。至る所に隙間無くシャモア(カモシカみたいな動物)の糞がある。何カ所かの撮影ポイントを経由して、2時間くらいで一番上のポイントに到着。絶景,!!。
登る途中数頭のシャモアに出会う。距離も近い。10数年間で何度もこの山に登っているがシャモアに出会ったのはこのガイドと見た時と、その後一人で登ったときに数十頭の群れに出くわした2回だけだ。
2回目の出会いは素晴らしかった。険しい斜面、強烈に背の高い樅の木、その大木の間を大きな群れが駆け抜ける。重力が無いかのごとく軽々と飛んでいく。宮崎駿さんの世界だ。短い時間だが見とれた。
ガイドと登った数日後また山に登る。エリアの全体像はガイドと歩いた時にほぼ把握した。今回は最初に取りついた二カ所のエントリーポイントの間を、道に迷わないように慎重に探索する。
間もなくその二カ所が1つのルートとして頭に入った。要するに2番目のエントリーポイントから入ればロッククライミングなしで、どの撮影ポイントにもいけるとゆうことだ。あとは尾根、谷筋を間違わずに上に向かって歩くだけ。
ガイドさんは何故、最初の登山にエントリーポイントを二つ選んだのか、いまだに不思議だ。ガイド料に見合った技を見せたかったのか、あるいは次の登山も一人では危険、ぜひお誘いをとゆうことなのか。
初めてノイシュヴァンシュタイン城の写真を見たのは高校生のときだった。しかしその写真がノイシュヴァンシュタインだと気づくのは実際にお城の撮影を始めてしばらくしてからのことだった。 つづきは下のボタン⬇︎
登山に凝っていた高校生の頃、県内の高校や山岳会総出でシゲト山(日光中禅寺湖の周りにある)の登山道の整備をしたことがある。
学校の授業は午前だけ、あとは学校公認、堂々の私の時間。ズル休みではない。午前中の授業は完全にうわの空、早く終われ、すぐやめろと頭がテンパっていた。今の知恵なら、学校に寄り道せず真っ直ぐ山に行くだろうに。
いざ、鎌を片手の人海戦術。シゲト山の上はドピーカン、絶好調の紅葉が青空に映える。自分のなかではいまでも、大雪高原の紅葉よりイメージ的にはずっと上位にある。
山の尾根筋を切り開きながら、どこかの山岳会の大人のひとがヨーデルを歌っていた。
当時は東京をはじめ各地のヨーデル愛好会が、月刊誌「山と渓谷」の紙面を賑わしていた。山のブームもあの頃が最盛期だった。ヨーデルにはまり込んだ人も相当いたようだ。
天気もロケーションも最高なだけに彼の歌は秋の山中に映えた。その時の彼のすがた形を今でもおぼろげに覚えている。
どこのレコード店か覚えていないが、すぐヨーデルのLPを買いにいった。いっぱつで気に入った。今までに聞いたことも無い、高らかに済んだ女性ヴォーカルだった。
ビートルズ、シルビー・ヴァルタン、フランス・ギャルと同等に毎日聞いた。音割れ寸前までボリームをあげる。田舎ゆえ、たまに苦情を言うのは親父くらいだ。
ヨーデルのLPジャケットには山の上のやたら尖ったお城、寒々と雪に埋もれ、凍り付いている。リアル写真を使ったジャケットだったが、田舎の高校生には、そんなお城が現実に存在するという思いには到底至らなかった。
撮影の為ノイシュヴァンの山に登り始めて、これが「あのLPジャケットのお城だ!!」 と気づくまでにだいぶ時間がかかった。現実のものとは認識していなかったので、お城の形もはっきりとは覚えていない。そのうえレコードを人に貸しているので、ジャケットが手元には無かった。
高校を卒業して数年が経つた頃 たまたま合った山岳部の後輩にそのLpと、後で買い足したフランツル・ラング等のレコードと一緒に貸した。
しばらくして彼に再会したが、今度は、二人共通の知人(先生)に又貸ししたと言う。いつかは自然にかえってくるものと思い、強く返却の主張はしなかった。
ーーどこでだれが止めてしまったのか。青春を返してくれ~、と時たまこころで叫んでいる。
ユーチューブで時々探しているが、まだあのレコードジャケットには出会っていない。
一番好きだった曲は(多分LP盤の一曲目)、南ドイツからスイスのチロルに向かう途中のヨーン・パス(峠)にある土産屋でカセットテープを買い、手に入れた。
高校生のとき、昼休みの校内放送でその曲が2,3回流れたことがある。
この曲を知っている人がこの学校にいるんだと、思いつつ心躍った。
昔の城郭都市のようなセキュリティ上の意味合いは今でもあるのでしょう。現在は街がダラダラと拡張しないように、上下水道などのインフラは決められた範囲だけ整備するそうす。大きなコストカットになるし、まとまって安全に、安く住めということなんでしょうね
ノイシュヴァンシュタインの山上の撮影ポイントは、日本なら、大観光地としてとうの昔に新穂高ロープウエーのように開発されていたでしょう。世界中から、今の何倍もの観光客が押し寄せ、大盛況であったでしょう。
あるいは、お城だけでなく環境も含めて保全しているからこそ、シーズンによっては入場できないほど観光客が来るのでしょうか。
残すべきは残すドイツ。そうゆう分野でも、先進国に成るはずだった日本、先を行くドイツにリスペクト。
※ 基本的に入山禁止である。危険でもある上、ルート詳細を公開すると入山する人が大幅に増える可能性もあり公開しないことにする(少しヒントあり)。まして日本人が増えたりするとひんしゅくを買うことになる。密かに探し、密かに登る、これが今まで登った写真家の暗黙の了解だったと思う。GOOD LUCK!