何気ない風景、当たり前の日常の中で出会うシーンなど
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直径54cmの大皿。
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&show(ar-8138.jpg,lightbox2=group,30%,焼締の大皿と紅花.直
2年前に知り合いのパン屋さんのホームページを勝手に作成してあげた折にgoogle mapに二枚の写真を投稿しました。
2016/9/6日に届いたgoogleからのお知らせメールで、その時の写真がgoogle mapで新記録を達成したみたいです。
こうゆうメヂィアでの記録はチョット嬉しい。
このパン屋さんのホームページは管理の都合上今はありません。
ゴールデンウィークの陶器市
雀の反抗
ツバメの写真は2013年7月の撮影。今年2014年も、スズメがツバメの巣を襲う同じ場面
を目撃している。家の周りでは数年前まで、ヒヨドリや雀が心地よく鳴いていた。
時々庭に果物や穀物を撒いていたら、カラスがやってきてヒヨドリやスズメを全
部追いだしてしまった。餌付けをやめることにした。
2015年になってそのスズメの声がほとんど 聞こえてこない。少し寂しい物足りなさがある
また穀物を撒くことにした。ヒヨドリが戻ってきた。ヒヨドリが大好物の果物だと、置くや
いなやカラスがやってくる。スズメもちらほら戻ってきた。日に日にスズメの声が大きく
なっていく。
2015年5月 ツバメの季節、今年はこないかもしれないと思っていたが、ツバメは戻って
きた。去年はスズメにボロボロに跡形もないほど巣を壊されてしまったのに。
今年はスズメの嫌がらせを受けながらも、スキをみて巣を完成した。
ツバメの出入りは昔のように頻繁ではない。スズメを避けながら行動しているようだ。声は
夕方に少し聞くくらいになってしまった。徐々にツバメの声はまったく聞こえなくなった。
庭に風で骨が折れてしまった古い大きめのパラソルがある。その骨を木工ボンドで修理しよ
うとした時、パラソルのシート部分に鳥の小さな羽と小さな白い玉を見つけた。一つは殻が
破れ中身がはみ出していた。もう一つはクチバシで開けたような小さな穴が空いている。
最後の一個は殻にヒビが入ったいた。
スズメの仕業だ。その後も雀はツバメの巣の上の屋根の天辺で堂々と囀っている。大きく手
を叩き、何ども追い払う。少し静かになってきた。
今度こそ、もう来年はこないかもしれない。もし来年も来てくれたら、高い場所で工事が難
しい形状だが、ツバメの巣の下に板を一枚取り付けようと思う。
板を取り付ければツバメの巣は物陰の奥になる。ツバメは家の中でも穴倉でも入ってくる
が、雀は奥までは入ってこない。結果的にツバメだけが出入りする恰好になる。近所の人が
教えてくれた。ツバメとズズメ、なんとか共存はできないものか。7/1日
四国
2013年9月16日18:00PM
台風18号が去った後に美しい夕焼け
(運動公園から)
後方は
表日光連山 女峰山
色,彩度の調整:YMC,BGRと覚えると便利
色の三原色と光の三原色だがこの相関関係を利用し、不自然さを避けるフイルムではこの原理でカラーバランスフィルター(LB,CCフィルター等)を使用する。PCソフトで後処理してもフィルターと同じ効果を得るのは難しい。
Y ⇄ B
M ⇄ G
C ⇄ R
この関係はPCソフトのレタッチも同じ。どんどん高機能化するが基本は変わらない。
この7枚の写真は狭い地域内で撮った写真です。
汚染廃棄物等の最終処分場建設反対運動
除染
昔、役所の友人が話してくれた。植樹祭には天皇が、育樹際には皇太子が参加する。植樹祭も
育樹際も自然林を伐採、切り開き会場を設営し“緑の大地を”と大がかりな催しが行われるという。
きっと天皇も皇太子も、内心はお心を痛めておられたことでしょう。
夏がすぎ、秋も終わる。 まわりには美しいものがいっぱい。
秋風... すすき... とんぼ
家付近の小さなスペース。草を刈らず野のままにしてある。これだけでも季節がよくみえる。
奥日光 汚染
久しぶりに奥日光に早朝撮影に出かける、かつての夏と違い少し違和感を感じた。妙に寂しいのは人と車が少ないからだとすぐ気づいた。いつもなら、道路のあちこちの狭いスペースに車が無理やり駐車していたし、湖には多くの人達が、腰まで水につかって釣りをしていた。
この夏は水に入っている人が何処にもいない。寂しさと憤りを感じた。
ベトナム戦争の頃、アメリカでも日本でも反戦歌が盛んだった時がある。
日本の安保闘争にもリンクしている。圧倒的に歌の数はアメリカ生まれのものが多かった。
ボブディラン、PPMやジョーンバエズが活躍した時代だ。
そんな中に、1960年少し前まで続いたアメリカによるマーシャル諸島のビキニ環礁での核実験に対する歌だったのか、あるいは'60年代の米ソ冷戦からの核の不安がもたらしたのか、What have They done to the rain.邦題"雨を汚したのは誰”という歌がある。
恵みであるはずの雨が、大地に降り注ぎ、やがて草は枯れ、少年達はいつしかきえてしまうといった内容のものだが、何処の誰かは知らないが、これを自分なりに編集しYOU-TUBEにのせた感性はすばらしい。
いまはこんな詩を歌う人もなく、無力感とともにあてもなく、手をこまねいて時代をやりすごしている感じがする。
桑田佳祐の最新のアルバム、I LOVE YOUのなかの声に出して歌いたい日本文学汚れちまった悲しみに(中原中也)・・・ から高村光太郎の智恵子抄・・・と続く長い歌だが、痛烈だと思う。、、たわいのない話としているが、、なんども聴いてみたい。彼らしい表現だと思う。アイロニーとパズル性がある。
歌で、こんな表現も出来るんだと感激する。
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What have THEY done to the rain?!
▷youtube;JOAN BAEZ
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スカイツリーを初めて撮影。
学園紛争1968or1969年 中央大学 中庭
当時、千代田区駿河台 (35mmネガカラー)
全国から各セクトの学生達が集結して学園を占拠していった。
自分にとって、あの時代、熱狂的な社会現象にみえた学園闘争、いまだに何だったのか解らない。結末も不可解だった。当初の目的を見失い、闇の中に落ちていった。
今また、やっと芽生え始めた抗議行動、一つの事柄に対してアピールしているように見えるが、参加する各個人の潜在的思いはもっともっと広がりを持っている。情報に対する高いリテラシーをもった市民達が行動を起こしたということは確実に次の時代に向かっているということだろうと思っている。
この2,3ヶ月、夜な夜な中学から大学生の頃までのカラー、モノクロのネガフィルムを洗った。中性洗剤に数時間浸け、そのあと水洗するのだが、浄水を使うと泡切れがいい。
ずらりとハンガーにかける。あまり重要なフィルムではないので、流し台の近くにロープをピィーンと張り小さなクリップで一つ一つ吊るしてゆく。半世紀も前のものなので、スリキズ、カビ、正体不明のよごれ、あまりの酷さにほっぽり投げていたことを後悔する。
仕事に関係のない時代はこんな風に考えていたのかとか、こんな友達もいたのかとか、当時をリアルに思い出す。それが写真本来の役割なのだと思ったりもする
小田代ヶ原 栃木権日光市 撮影1980年前後?
随分前から草原は立ち入り禁止になってる。今は草原に柵をはり巡らしている。
昔はこんな牧歌的な時代もあった。こんな形の自然利用が理想なのだが、この数年後くらいに、まず4x5カメラを構えるプロ写真家が中心に大勢集まるようになった。そして、その数年後アマチュアも参戦。 つづく
プロアマ、老若男女、そのころ女性はまだ少なかったかもしれない。そして道路脇にはワゴン車、四駆、乗用車と駐車スペースもままならない程、人と車で溢れかえった。三脚の砲列が小田代ヶ原をぐるっと囲んだ。
暗いうちは見えないが、夜が明けると道路の上の林の中にまで三脚が並んでいることに圧倒された。
当然、小田代ヶ原狂想曲バブルは破綻を迎え、車は出入り禁止になってしまった。熱狂するものはいつか終焉を迎える。無駄に終止符を打つのだ。
その後エコシャトルバスが走るが、熱心なカメラマンは徒歩や自転車で小田代ヶ原詣でをしているらしい。当然小田代の写真の質は高くなっているみたいだ。プロカメラマンはあまり参加しなくなってしまったそうな。
私もその後まったく小田代の撮影をしていない。
夏の赤いホオズキにいまでも季節感は感じるが写真を撮ろうとはなかなか思わない。植物は染料にもなるが、imaginationの原料にもなる。そのエッセンスらしきものを発する時が一番キレイ
ロイズ通り
噴水の水が出てないので近くのおじさんに尋ねると、鳥のフンで配管が詰まってしまうとのこと、水を循環させているポンプは隣人のものだと、遠慮がちに掃除をしてくれた。それでもこの程度の水しか出ない。写真的にはGOO。車の窓枠に300mmレンズを押しつけ撮影。日本ほど小鳥もおどおどしていないので撮りやすい。
そういえば、最近は日本の田舎でも小鳥を食べるという話をほとんど聞かなくなった。
生き物の写真は距離感のある方がいい
エレムルス 別名:desert candle, foxtail lily, candle lily